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新潟地方裁判所 昭和60年(ワ)607号 判決

原告

髙橋ヒデ

髙橋敏明

髙橋修

原告ら訴訟代理人弁護士

中村周而

足立定夫

鈴木俊

被告

労働福祉事業団

右代表者理事長

藤縄正勝

被告

小柳隆介

被告ら訴訟代理人弁護士

平沼高明

堀井敬一

西内岳

右平沼訴訟復代理人弁護士

木ノ元直樹

永井幸寿

主文

一  被告労働福祉事業団は、原告髙橋ヒデに対し金二五二六万〇二二八円、原告髙橋敏明及び同髙橋修に対し各金一二一三万五一一四円及び右各金員に対する昭和五九年六月一〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの労働福祉事業団に対するその余の請求及び被告小柳隆介に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告労働福祉事業団の各負担とする。

四  主文第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告らは、各自、原告髙橋ヒデ(以下「原告ヒデ」という。)に対し金二七三九万五〇〇〇円、原告髙橋敏明(以下「原告敏明」という。)及び同髙橋修(以下「原告修」という。)に対し各金一三二〇万二五〇〇円及び右各金員に対する昭和五九年六月一〇日(予備的に被告労働福祉事業団に対し、同六〇年一一月一六日)から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、いわゆる医療過誤訴訟であり、亡髙橋正一(以下「正一」という。)に対する胃切除術の際の麻酔管理に誤りがあったため(以下「本件麻酔事故」という。)脳神経障害が発生し、正一が死亡するに至ったとして、主位的に担当医師被告小柳隆介(以下、「被告小柳医師」という。)に対し不法行為又は代理監督者責任、担当医師らの使用者である被告労働福祉事業団(以下、「被告事業団」という。)に対し不法行為、予備的に診療契約の債務不履行に基づき、逸失利益等の損害賠償を請求した事案である。

一争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、原告ヒデ)並びに弁論の全趣旨上明らかな事実

1  正一は、昭和一一年一一月二二日生まれの男性で、農業に従事するかたわら、味方村農業協同組合に勤務していた。

被告事業団は、新潟県燕市大字佐渡六三三番地に所在する燕労災病院(以下「被告病院」という。)を設置運営している。

2  正一は、昭和五九年五月三〇日、被告病院において被告小柳医師の診察を受けて胃潰瘍と診断され、同日被告病院に入院した。すなわち、被告事業団と正一は同日、正一の胃潰瘍の治療等について診療契約を締結した。

正一は、同年六月一〇日一六時〇〇分頃吐血及び下血等をし、同日一六時二〇分頃正一を診察した被告小柳医師は、胃出血でショック状態にあると判断して、正一に対し直ちに胃切除術を行うこととした。

3  同一八時〇〇分頃から麻酔(以下「本件麻酔」という。)が開始され、一八時一七分頃から胃切除術(以下「本件手術」という。)が開始され(加刀開始)、一九時四七分頃に本件手術は終了した(縫合終了)。

本件手術の担当者は、術者が執刀医被告小柳医師(外科・消化器外科)及び助手訴外津野吉裕(以下「津野医師」という。外科・消化器外科)であり、麻酔者が同日一八時二〇分頃までは訴外所澤徹(以下「所澤医師」という。整形外科)、その後が訴外八木実(以下「八木医師」という。新潟大学医学部附属病院小児外科)であった。

本件手術当時、被告小柳医師、津野医師及び所澤医師は、いずれも被告事業団の被用者であり、八木医師は、被告小柳医師の要請で本件手術の麻酔を担当した新潟大学医学部附属病院所属の医師であり、右医師らは被告の医療事業の執行として本件手術を実施した。

4  正一は、本件手術終了後も脳神経障害(以下「本件脳神経障害」という。)のため覚醒することがなく、いわゆる植物人間のまま、昭和六〇年八月二九日死亡した。

二争点

1  本件麻酔の管理(全GO+NLA変法に加えてフローセンを使用し、吸入酸素濃度を二〇%にしたこと)は適切であったか。

2  本件麻酔管理と本件脳神経障害との因果関係。

本件脳神経障害の原因について、

(一) 原告らは、本件麻酔導入時の脳の低酸素状態に直接起因する脳の損傷(低酸素性脳障害)、右低酸素状態からもたらされた高血圧及び不整脈に起因する脳の損傷(高血圧性脳症)、あるいは、右高血圧及び不整脈と麻酔覚醒時に不可避的に発生する高血圧及び不整脈の併存に起因する脳の損傷(高血圧性脳症)のいずれかによるものである旨主張し、

(二) 被告らは、ショック状態における生体の過剰な防衛反応や止血措置、麻酔覚醒時の自然な反応(興奮)等から、麻酔覚醒時に不可避的に血圧が上昇したことに起因する脳の損傷(高血圧性脳症)によるものである旨主張する。

3  担当医師らの麻酔選択についての過失(予見可能性)の有無等。

(一) 原告らは、担当医師らの本件麻酔管理には過失があり、これに起因する本件麻酔覚醒時の血圧上昇あるいは不整脈の発生、ひいては低酸素脳障害あるいは高血圧性脳症の発生は予見可能であった旨主張し、

(二) 被告らは、本件麻酔覚醒時の血圧上昇あるいは不整脈の発生は予見不能であり、本件では、正一の血圧上昇後迅速な治療がなされているのであるから、被告らに落度はない旨主張する。

4  損害額

第三争点に対する判断

一本件手術の経過

当事者間に争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人八木、同所澤、同津野、原告ヒデ、被告小柳)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  本件手術に至る経過

(一) 正一は、昭和五八年五月頃から、高血圧と胃の具合が悪く、近所の医院で投薬治療を受けていた。

(二) 正一は、昭和五九年五月一九日頃家人に腹痛を訴え、同月二二日一〇時頃白根市内の水戸部医院を受診して脱水症状となっていることが判明し、さらに同日午後、同市内の石崎外科を受診して入院し、同月三〇日顔面蒼白、血便、血圧低下等の症状が認められたことなどから胃潰瘍と診断され、被告病院を紹介された。

(三) 正一は、同月三〇日一七時三〇分頃被告病院外来において、被告小柳医師の診察を受けて胃体部小弯側中央に大きな潰瘍と動脈血管の露出が確認されて胃潰瘍と診断され、精査・治療のため同日一八時二〇分頃同病院に入院した。正一は、右受診時には胃からの出血は止まっていたが、顔色不良、最高血圧七四mmHg・最低血圧五〇mmHg(以下、血圧七四/五〇などと表示する。)、赤球数一八〇万個、ヘモグロビン5.9g/dl、ヘマトクリット17.9%でショック状態にあり、受診後、輸液、止血剤の投与及び輸血等を受けた。なお、入院時の正一の状態は、血圧八四/四〇、脈拍一二〇回/分(以下、単に数字を表示する。)、体温35.7度、顔色・口唇色ともに不良、四肢冷感あり、ショック状態にあった。

同日一九時三〇分には血圧一〇四/五〇、脈拍九六となってショック症状は一応改善され、以後も輸液、止血剤の投与及び輸血(同月三〇日から同年六月一日まで濃厚赤血球液一一単位)等がなされ、正一は小康状態を保った。

しかし、同月九日には顔色不良等の再出血が疑われる症状が現れ、被告小柳医師は、輸液や血液検査を指示し、同日一二時四五分の血液検査の結果は、赤血球数二〇九万個、ヘモグロビン6.4g/dl、ヘマトクリット20.9%であり、貧血状態と診断し、濃厚赤血球液三単位(六〇〇ml)等を投与した。

(四) 同月一〇日の正一の血液検査の結果は赤血球二一三万個、ヘモグロビン6.7g/dl、ヘマトクリット二一%であり、輸血の割には貧血状態の改善が認められなかったので、被告小柳医師は再出血を疑い、そのころ濃厚赤血球液三単位(六〇〇ml)やタガメット(制酸剤)等の投与を指示した。

(五) 正一は、同日一六時〇〇分頃、吐血二〇〇ml、下血便器に多量、冷汗、顔色不良、最高血圧六〇、欠伸を何度もしてやや興奮状態となった。被告小柳医師は、同日一六時二〇分頃正一を診察して、胃出血でショック状態にあると判断して、直ちに胃切除術を行うこととした。また、被告小柳医師は、新潟大学医学部附属病院に麻酔医の応援を依頼するとともに、所澤医師に右麻酔医到着までの麻酔管理を依頼した。

なお、本件手術時の正一の体重は49.8kgであった。

2  本件手術の経過

(一) 正一に対し同日一六時三〇分頃(以下、同日中の出来事については、時間のみを表示する。)から剃毛等の術前措置がなされ、一七時三〇分頃の正一の血圧は九〇/五〇、脈拍は七二であり、被告小柳医師は前投薬として硫酸アトロピン0.5mg、アタラックスP五〇mgを投与し、輸血等をした。

(二) 被告小柳医師は、正一がショック状態にあり、臓器血流量の減少を避け、手術中の血圧を高く保つ必要があるとの考えから、浅い麻酔の状態で手術を実施しようと考え、浅い麻酔と強い鎮静剤の組み合わせである全GO+NLA変法による麻酔法を予定し、八木医師が到着するまで麻酔を担当させることとした所澤医師に対しては、正一が貧血性のショック状態にあることを伝え、血圧を極端に下げないように指示した。

(三) 麻酔導入直前の正一の血圧は九〇/六〇であり、被告小柳医師及び所澤医師は、正一に対して一八時〇〇分頃、商品名ドロレプタン(ドロペリドール・麻酔用神経遮断剤)4.5ml、商品名ソセゴン(ペンタゾシン・非麻薬鎮痛剤)六〇mg、商品イソゾール(チアミラルナトリウム・麻酔剤)二〇〇mgを静注して麻酔の導入をし、商品名サクシン(サクシニールコリンクロライド・筋弛緩剤)四〇mgを静注してから気管内に挿管した。

所澤医師は、正一に対して一八時〇〇分頃から笑気四l/分・酸素一l/分(酸素濃度二〇%)の混合ガスに商品名フローセン(ハロセン)一%を加えて吸入させた。

(四) 一八時〇五分頃、正一の血圧は六〇/三五に低下し(脈拍一一〇)、所澤医師が商品名エホチール(塩酸エチレフリン・昇圧剤)五mg、サクシゾン(抗ショック予防剤・副腎皮質ホルモン剤)一〇〇〇mgを投与したところ、一八時一〇分頃血圧が一〇〇/六〇(脈拍一三七)に回復した。一八時一五分頃には血圧は九〇/五八(脈拍数一〇九)となり、ミオブロック四mgの投与により筋弛緩を得た。

なお、一八時二〇分頃の血圧及び脈拍数の記載が麻酔表上にはなく、不明である。

(五) 津野医師は、本件麻酔導入後被告病院の手術室に入室し、本件手術は、一八時一七分頃、被告小柳医師の執刀、津野医師の助手で開始され、胃角大弯側で胃切開を加え、胃内部にあった新鮮な血塊約五〇〇gを除去し、潰瘍の位置を確認して約三/四の位置で胃を切断し、残胃と十二指腸をビルロートⅠ法で端々吻合し、一九時四七分頃皮膚縫合を終えて本件手術は終了した。

なお、本件手術中、胃ガンが発見されている。

(六) 一八時二〇分頃以降は、所澤医師に代わり八木医師が麻酔管理を行った。八木医師は引き継ぎに際し、正一はかなり貧血が強かったと聞いた。

(七) 一七時三〇分頃から一九時四〇分頃までの麻酔管理の状況は別紙麻酔表(〈書証番号略〉)のとおりである(同表中、「F」はフローセン一%を、「NO」は笑気を、「〉〈」印は最高血圧と最低血圧を、「・」印は心拍数を意味する。)。

右麻酔表によれば、一八時二五分頃から一九時四〇分頃までの間の血圧と心拍数の変化は、概ね以下のとおりである(一九時四〇分以降は、麻酔表の記載がない。)。

一八時二五分頃 血圧一三〇/九五 脈拍一二八

三〇分頃 血圧一三三/九三 脈拍一三〇

三五分頃 血圧一三八/九八 脈拍一三二

四〇分頃 血圧一三八/九八 脈拍一二九

四五分頃 血圧一四二/一〇二 脈拍一三〇

五〇分頃 血圧一四二/一〇三 脈拍一二七

五五分頃 血圧一六二/一〇五 脈拍一三〇

一九時〇〇分頃 血圧一六〇/一一〇 脈拍一二二

〇五分頃 血圧一四二/一〇五 脈拍一一八

一〇分頃 血圧一四二/一〇五 脈拍一一五

一五分頃 血圧一三五/一〇〇 脈拍一一八

二〇分頃 血圧一四〇/一〇〇 脈拍一一二

三〇分頃 血圧一四〇/九七 脈拍一一〇

三五分頃 血圧一五七/一〇五 脈拍一一五

四〇分頃 血圧一三〇/一〇〇 脈拍一一二

一八時〇七分頃から一九時四〇分頃までの間の笑気、酸素及びフローセンの投与量の変化は、概ね以下のとおりである(笑気及び酸素の単位はl/分)。

一八時〇七分頃 笑気四・酸素二(酸素濃度三三%)、フローセン一%

一二分頃 笑気三・酸素1.5(酸素濃度三三%)、フローセン一%

一九時〇〇分頃 笑気三・酸素1.5、フローセン1.5%

一五分頃 笑気三・酸素1.5、フローセン一%

二〇分頃 笑気四・酸素二、フローセン一%

三五分頃 笑気及びフローセンを切る。酸素五(酸素濃度一〇〇%)

一七時三〇分以降本件手術終了時までの間の輸血量は、保存血二単位、濃血五単位である。

3  本件手術後の経過

本件手術終了後、手術室から被告小柳医師が出ていった後の一九時五五分頃、正一に不整脈(心室性頻脈の酷い状態となる)が発生し、最高血圧が二三〇mmHgと異常に高い状態となった(なお、〈書証番号略〉(手術記録)には「一部心室細動となる」との記載があるが、〈書証番号略〉及び被告小柳医師本人尋問の結果によれば、その作成者である被告小柳医師は、心室細動に限りなく近い状態を「心室細動」などと表現し、心停止とは区別している様子が窺えるから、正一に心停止が生じたとまでは認められない。)

八木医師は、バッグの操作をやや過呼吸ぎみにして、吸入酸素量の増加を図るとともに、二%キシロカイン(イドカイン・抗不整脈剤)五〇mgを静注したが効果がなく、さらに、手術室に戻ってきた被告小柳医師とバッグの操作を交代した後、インデラール(抗不整脈剤)一mgを静注したところ一ないし二分後に洞性調律(正常な心電図波形)を得た。さらに、クロセート(意識障害治療剤)五〇〇mg、ニコリン(脳代謝賦活剤)一g等を投与した。

二〇時〇五分頃には、不整脈は消失し、血圧も低下傾向となった。

被告小柳医師らは、約一時間様子を見たが、正一は覚醒しないまま二〇時四〇分頃帰室した。帰室直前の血圧は一〇四/八〇であった。

4  本件脳神経障害発生後の治療経過

正一は、同月二九日まで被告病院に入院して治療を受け、同日から同年八月三〇日まで長岡日赤病院に入院して高圧酸素療法を受けるなどしたが、意識は回復せず、同日から同年一二月六日まで再び被告病院に入院して治療を受け、原告らの希望もあって、同日から白根健生病院に入院して治療を受けたが、意識の回復を見ないまま、昭和六〇年八月二九日本件脳神経障害に起因する緑膿菌による肺炎、胸膜炎、尿路感染により死亡した。

二本件麻酔管理は適切であったか

1  フローセンの使用について

前認定の事実及び証拠(〈書証番号略〉証人所澤、同小川、被告小柳、鑑定人小川龍の鑑定の結果〔以下「小川鑑定」という〕)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 出血性ショック状態の患者は組織(臓器)の循環血液量が不足し、低血圧、四肢冷感、頻脈、脳機能抑制(欠伸が出る等)の症状が現れる。高血圧症患者の場合、正常時の最高血圧は一五〇以上であるから、最高血圧が三割下がって一〇五になると血圧低下といえる。

正一は、本件手術の約一年前から高血圧症であり、胃出血のために本件手術のため病室を出る直前の最高血圧は八〇、本件麻酔開始前の血圧は九〇/六〇であったこと、さらには、四肢冷感、冷汗、欠伸等の症状を示していたことから、出血性ショック状態にあったといえる。

(二) 出血性ショック状態の患者に必要なことは組織(臓器)の循環血液量の確保、ひいては、組織(臓器)への酸素供給量の確保である。そのため、出血性ショック状態では、浅い麻酔状態で、血圧を比較的高い状態に安定させて、手術を実施する必要があり、また、そうするのが一般的である。

したがって、また、出血性ショック状態の患者に対し、循環機能抑制作用(血管の拡張、心筋収縮力の低下等)のある麻酔導入剤を投与する場合には、通常は常用量の二分の一ないし三分の一の量を、時間をかけてゆっくり投与し、効果を確認しながら必要に応じて増量しなければならない。

(三) 本件麻酔の方法は、当初、浅い麻酔と強い鎮静剤の組み合わせであるNLA変法(変法には種々のものがあるが、本件麻酔では意識消失のため吸入させる笑気及び酸素に加え、神経遮断剤としてドロレプタン、強力な鎮痛剤としてソセゴン、麻酔剤としてイソゾールを使用した。)であり、出血性ショック状態にある患者に対する麻酔方法としては一般的なものであった。

ドロレプタン及びイソゾールは副作用として循環機能抑制作用(血管の拡張、心筋収縮力の低下)があり、特にイソゾールは、製品添付の説明書上、ショック、または、大出血による循環不全、重症心不全には投与しないこととされている。なお、ソセゴンは血圧降下作用は少ない。

ドロレプタンの常用量は0.1ないし0.2ml/kgであり、本件麻酔導入に使用された4.5mg(0.092ml/kg)は常用量よりやや少ないが、出血性ショックの患者に対する投与量としてはかなり多い量であった。イソゾールの常用量は三ないし五mg/kgであり、本件麻酔導入に使用された二〇〇mg(4.1mg/kg)は常用量内の量であるが、出血性ショックの患者に対する投与量としてはかなり多い量であった。ソセゴンの六〇mg投与も正一の体重からすると非常に多い量であった。

(四) ドロレプタンの神経遮断作用の持続時間は約一二〇分、ソセゴンの鎮痛作用の持続時間は約四〇分であり、通常はこれらと循環器に影響が少ないといわれている笑気の投与だけで十分に麻酔は維持できる。

(五) 本件麻酔導入二五分以内の最高血圧は一〇〇以下であった。

(六) フローセンは強力な麻酔作用を有する麻酔剤で、麻酔深度の調整が容易であるが、副作用として循環抑制作用が強く、動脈血圧、心筋収縮力、心拍出量、末梢血管抵抗の減少等をもたらし、その傾向は深い麻酔ほど著しい。出血性ショック状態の患者に対する使用については、一般的に禁忌とまでは言えないが、熟練した麻酔担当医が低血圧発生を予想して使用すべきであるとされ、教科書的な医学文献のなかには、ショック状態の患者の麻酔維持には禁忌であるとするものもある。また、フローセンの使用による血圧低下には、まず、フローセン濃度の調整や使用中止で対処すべきであるとされている。

麻酔導入に単独で使用されるフローセンの常用濃度は0.5ないし0.7%位であり、麻酔維持の場合は一ないし1.5%であり、NLA変法に加えて麻酔維持に使用される場合には右濃度より低濃度で足りるとされている。本件麻酔に使用されたフローセン一%(一時的には1.5%)という濃度はNLA変法に加えて使用する場合としては大変濃いものであり、フローセン単独で十分に麻酔が維持できる濃度である。

なお、本件麻酔事故当時、所澤医師は医師経験三年目の整形外科の研修医であり、麻酔の研修を半年行い、全身麻酔約一八〇例の経験がある。

以上の、本件麻酔導入時に投与されたドロレプタン、イソゾール及びソセゴンの量、作用持続時間、笑気の投与、また、正一の最高血圧の状態からすると、右各薬剤だけで十分に麻酔は導入・維持できたものと推認され、本件麻酔導入後二五分以内においては、さらにフローセンを投与する必要はなかったうえ、本件麻酔におけるように、多量の薬剤を投与してのNLA変法に加えて高濃度のフローセン一%を投与することは、その強い循環抑制作用からして、出血性ショック状態にあった正一に対しては、血圧の低下、循環血液量の一層の減少をもたらしており、不適切であったといえる。

所澤医師は、本件麻酔実施前に、被告小柳医師から正一が出血性ショック状態にあることを知らされ、血圧を極端に低下させないように指示されており、また、フローセンの前記のような循環抑制作用は医学的な一般知識であるから、本件麻酔導入後二五分内にNLA変法に加えてフローセン一%を使用したことについて落度があったというべきである。

他方、同二五分以降は、輸血の効果から最高血圧が概ね一三〇以上に保たれており、また、ソセゴンの鎮痛作用も低下すると考えられるので、血圧の上昇を抑え、また、麻酔深度を維持するためにNLA変法にさらにフローセンを添加するのは適切であったといえる。

2  吸入酸素濃度二〇%について

前認定の事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人小川、小川鑑定)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 前認定のとおり、出血性ショック状態の患者に必要なことは組織(臓器)の循環血液量の確保、ひいては、組織(臓器)への酸素供給量の確保である。

(二) 健康成人の脳の酸素消費量は脳重量一〇〇g当たり3.0ないし3.8ml/分である。脳への酸素供給量は、脳血流量と動脈酸素含有量で決定される(脳酸素供給量ml=脳血流量l×動脈酸素含有量ml/分)。動脈酸素含有量は、血液中のヘモグロビンと結合している量と物理的に溶解している量との合計である(動脈酸素含有量ml/dl=1.34×ヘモグロビン量g/dl×酸素飽和度%+0.003×動脈酸素分圧mmHg)。

健康成人の場合、室内空気吸入時の動脈酸素分圧は九〇mmHgであるから、溶存酸素量は0.27ml/dlであり、また、ヘモグロビン量は12.5ないし14.5g/dl前後(小川鑑定に4.5g/dlとあるのは14.5g/dlの誤記と認める)、酸素飽和度九七%前後であるから、その動脈酸素含有量は約二〇ml/dlである。

(三) 正一の昭和五九年六月九日の血液検査の結果によればヘモグロビン量は6.4g/dlであり、右健康成人の動脈酸素分圧及び酸素飽和度を使って、正一の動脈酸素含有量を試算すると健康成人のほぼ四〇パーセントであったことになる。

同月一〇日の本件手術前の血液検査の結果によってもヘモグロビン6.7g/dlであり、動脈酸素含有量は健康成人のほぼ四五パーセントであったことになる。

(四) 出血性ショック状態では、心拍出量が著しく低下して循環血液量が少なくなり、肺の死腔(ガス交換に直接関わらない部分)が増加するため、肺のガス交換機能が低下し、動脈酸素分圧、さらには、ヘモグロビン酸素飽和度も低下する。動物実験では、空気呼吸の状態で出血性ショックとなると、ヘモグロビン酸素飽和度は九七%から八八%に低下する。したがって、出血性ショック状態の患者に対する麻酔管理では、肺のガス交換機能の低下を補うため、室内空気よりも高濃度の三三ないし五〇%の酸素を吸入させるのが一般的である。

(五) また、同日一六時頃には、正一は欠伸や興奮状態等の脳機能抑制症状を示しており、脳酸素供給量の不足状態を示していた。

(六) 本件麻酔においては、輸血等の措置はとられていたものの、正一に対し、酸素を、一八時〇〇分頃から一〇分頃までの間濃度約二〇%、一八時一〇分頃から一九時二〇分頃までの間濃度約三三%、その後は濃度一〇〇%でそれぞれ吸入させている。

以上の事実によれば、正一は本件手術前に出血性ショック状態にあって、ヘモグロビン量が低下しており、酸素飽和度及び動脈酸素分圧のいずれも健康成人に比べて著しく低下していたと推認され、脳酸素供給量の不足状態にあったのであるから、本件麻酔において一八時〇〇分頃から一〇分頃までの間になされた二〇%の濃度の酸素の投与は、脳酸素供給量の不足を補うことができず、不適切であったといえる。

したがって、本件麻酔導入後一〇分内に、出血性ショック状態にあった正一に対し吸入酸素濃度を二〇%としたことについて、所澤医師には落度があったというべきである。

なお、本件麻酔導入後一〇分以降は、血圧が安定しているなど、脳酸素供給量の不足は認められない。

3  田中鑑定について

なお、鑑定人田中亨の鑑定結果(以下「田中鑑定」という。)は、フローセンの使用について、①一方ではフローセンの使用開始時期を一八時二〇分以降と認定し、他方ではNLA変法にさらにフローセンを添加したことが本件麻酔導入時の血圧低下の理由であるとしたりして、鑑定の前提とした事実関係の認定に矛盾がある点、②フローセンの使用開始時期が一八時二〇分以降であることを前提に、上昇した血圧のコントロールにフローセンの吸入が必要であったとしているが、前認定のとおりフローセンの使用開始は一八時〇〇分頃であって、この部分に対する鑑定評価がなされていないことになる点、また、吸入酸素濃度二〇%にしたことについて、③一方では本件麻酔導入後の血圧低下による低酸素症の発生が認められない理由の一つを本件手術中の血圧上昇がないことに求めながら、他方では右血圧上昇があったのでフローセンの使用は必要であったとして事実関係の認定に矛盾があると見られる点、④吸入酸素濃度をどの程度にすべきかという違法性・過失の問題と吸入酸素濃度を二〇%としたことと本件脳神経障害との因果関係の問題との区別が不明確である点などについて疑問があり、鑑定人田中亨の死亡により右各疑問点が解明できない本件においては、田中鑑定を採用することはできない。

三因果関係について

前認定の事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人小川、被告小柳、小川鑑定)によれば、以下の事実が認められる。

1  脳の低酸素状態の発生

(一) 前認定のとおり、本件麻酔導入時に出血性ショック患者にとっては多量の麻酔導入剤を投与したうえ、フローセン一%を吸入させたため、正一の血圧は一時低下(六〇/三五)した。

(二) ところで、脳には自己調整能力があり、最高血圧が一六〇ないし六〇の範囲までは、血圧を上昇させ、また、血管を収縮させて他の臓器への血流は犠牲にしても脳だけへは血液を送るなどして、脳血流量を一定に維持する能力がある。しかし、高血圧症(一般に、最高血圧一六〇、最低血圧九〇ないし一五〇の状態にあれば、高血圧症と診断される。)の患者の場合には、生体の適応現象の結果、経過に従い自己調整可能な血圧の範囲が高い方(例えば、収縮期血圧が二〇〇から九〇)へと移動する。

正一の場合、本件手術の約一年前から高血圧症に罹っており、健康成人よりも自己調整可能な血圧の範囲が高い方へ移動していたと推測され、本件麻酔導入時の血圧六〇/三五では、脳血流量を自己調整できず、約一〇分間にわたり脳血流量の減少をきたし、脳酸素供給量が不足した可能性が高い。

(三) 脳酸素供給量が十分でなければ、反射的に血圧の上昇が図られるうえ、右反射作用は脳酸素供給量不足が解消した後も、一定時間持続することがある。本件麻酔維持中、輸血約六単位が行われたとはいえ、フローセン1ないし1.5%を吸入しても一八時二五分以降の血圧が一三〇以上に維持されており、また、覚醒時に最高血圧が二三〇に上昇していることから、本件麻酔導入時の脳の低酸素状態の発生が推定される。なお、皮膚のチアノーゼが確認されていないが、貧血状態にある患者の場合には低酸素状態であってもチアノーゼは通常出現しない。

以上の脳血流量の減少、前認定のヘモグロビン量の減少及び吸入酸素濃度二〇%より推定される酸素飽和度の減少は、競合して、正一の脳酸素供給量を危険水準以下に低下させ、すなわち、脳の低酸素状態を発生させたと推認される。

2  本件脳神経障害の原因

(一) 脳の低酸素状態が発生しても、その持続時間が約一〇分間である場合には、覚醒時間が遅れる(通常五分ないし一〇分で覚醒するところ、半日ないし一日で覚醒する)等の症状が現れる程度であり、本件脳神経障害のように不可逆的障害を直接引き起こすことはない。

(二) また、本件手術操作は上腹部でなされており、多量出血等もなく、本件手術自体が脳を損傷した可能性はない。さらに、本件手術の場合、脳を損傷する主要な原因としては、①脳内病変の発生、②心停止後十分な蘇生に成功しなかったことも考えられるが、脳内病変の発生は、本件手術後のCT撮影の結果確認されていないし、脳波の局存性や瞳孔の左右不等が確認されていないことから、否定される。また、心停止後の蘇生については、前認定のとおり、心停止の発生自体を認めることができない。

そうすると、麻酔表の不備もあって、他に、特異な事象の発生が認められない本件手術の場合、被告らも自認するとおり、本件麻酔覚醒時の血圧の異常な上昇(最高血圧二三〇)と不整脈が、高血圧症であったとはいえ、正一に対しても脳循環を乱し、代謝に大きな影響を与え、脳浮腫等を発生させて脳に損傷を生じさせ、本件脳神経障害を発生させた(高血圧性脳症)と推認するのが相当である。

3  脳の低酸素状態、本件麻酔覚醒時の血圧の異常な上昇と不整脈の関係

(一) 本件麻酔覚醒時の血圧の異常な上昇(最高血圧二三〇)と不整脈の発生の原因としては、様々な原因が推測可能であり、正一の高血圧症や本件麻酔導入時の昇圧剤の使用が寄与した可能性があり、また、正一が出血性ショック状態にあったことから生体が過剰な防御反応を示した可能性、止血措置の影響、麻酔覚醒時の生体の自然な反応(興奮)等が考えられるが、右原因等から血圧が上昇するとしても通常は収縮時血圧一八〇ないし一九〇位までであり、収縮時血圧が二三〇まで上昇するということは通常ではない。

(二) ところで、脳の低酸素状態による脳の損傷(可逆的なもの)及び右低酸素状態に対する生体の防御反応として血圧を上昇させようとする作用が低酸素状態解消後も数時間継続することがある。また、前認定のとおり、本件麻酔覚醒後の血圧の上昇程度には著しいものがあった。

したがって、本件麻酔においては、前認定のとおり、他に特段の事象の発生が認められないので、導入後約一〇分間の脳の低酸素状態が脳の損傷(可逆的なもの)を招くとともに、血圧を上昇させる等の作用を発生させ、フローセンの吸入等により抑制されてはいたが、麻酔維持中も継続し、本件麻酔覚醒時の異常な血圧上昇や心室性不整脈の発生に寄与したと推定し得る。

以上の事実を総合すると、本件麻酔導入時の血圧低下により推定される脳血流量の減少、ヘモグロビンの減少と酸素供給量の低下が競合して、正一の脳への酸素供給量を低下させた結果、脳の損傷を招くとともに、血圧を上昇させ、これが麻酔覚醒時まで継続したために、麻酔覚醒時の生体の自然な反応(興奮)等に伴う血圧の上昇と相まって異常な血圧上昇や不整脈の一つの原因となり、本件脳神経障害をもたらしたと認めるのが相当である。

四責任原因

1  本件麻酔管理の過失について

前認定(前記二、三)のとおり、出血性ショック患者に対する麻酔管理に際しては、臓器、特に脳への酸素供給量の確保に努めるべきであり、NLA変法(しかも、薬剤の投与量は出血性ショック患者に対するものとしては多量であった)に加えて、高濃度のフローセンを吸入させれば、血圧が低下して循環血流量が減少するおそれのあること、また、吸入酸素濃度二〇%では脳酸素供給量の不足を補うことができないおそれのあること、したがってまた、脳の低酸素状態、ひいては血圧の上昇、不整脈の発生、さらには高血圧脳症が発生する可能性のあることは、医師にとっては一般的な知識であり、右結果の発生は容易に予見できたことである。そして、前認定(前記二)のとおり、本件麻酔導入後約一〇分間は、フローセンを吸入させる必要がなく、吸入酸素濃度を二〇%とするのは不適切であり、前記の結果を回避するために、フローセンを吸入させず、少なくとも酸素濃度を三三%以上とすることは極めて容易なことであったにもかかわらず、所澤医師は敢えて危険な選択をしたというのであるから(同医師の証言による。)、所澤医師には本件麻酔管理について過失があったと言わざるを得ない。

2  被告小柳医師の過失について

当事者間に争いのない事実及び前認定の事実(前記一、二)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 外科医師が外科手術に際し、麻酔管理を他の医師に委ねるのは、自己が手術に専従できるようにするためであり、特段の事情のない限り麻酔は外科手術の補助的手段である。麻酔担当医師は、術者である外科医師の指揮の下で患者に対して麻酔を行う。したがって、外科医師は、麻酔担当医師の麻酔管理が適切に行われているかどうかを監督すべき立場にあり、その監督に不備があった結果、患者に損害が生じた場合には、その監督責任を問われることとなる。

しかし、麻酔担当医師の過失により患者に損害が生じた場合は、当然に術者である外科医師にも注意義務違反があったことになるとする原告らの主張は、本件手術のように複雑困難で、多数の専門的知識と技術を有する手術要員の役割分担により、はじめて実施可能となる手術においては、不可能を強いるものであり、採用できない。

(二)  被告小柳医師は所澤医師に対して正一が出血性のショック状態にあることを知らせ、血圧を極端に下げないように指示していること、所澤医師は出血性ショック状態にある患者に対しては一般的な麻酔方法ではなく、危険でさえあるフローセン一%の使用や吸入酸素濃度を二〇%とすることについて被告小柳医師に何の報告もしていないこと、本件手術は日曜日に実施された緊急手術であり、手術要員の集合が遅く、麻酔医としての経験を有する所澤医師(同医師の証言による。)に麻酔導入を委ねたことを総合すると、本件麻酔について、被告小柳医師は術者としての麻酔医に対する監督責任を果していたといえる。

したがって、被告小柳医師は、不法行為者ないし代理監督者として、原告らの被った損害を賠償すべき義務はない。

3  被告事業団の使用者責任

被告事業団は被告病院の設置管理者であり、所澤医師は本件麻酔当時被告事業団の被雇用者であったこと、被告事業団の医療事業の執行として本件麻酔が実施されたことは当事者間に争いがない。

本件麻酔管理について所澤医師に過失があったことは前記のとおりであるから、被告事業団は民法七一五条一項により、右医師が正一に加えた損害を賠償すべき義務がある。

五損害

当事者間に争いのない事実、証拠(〈書証番号略〉、原告ヒデ)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  正一の損害

(一) 治療費(請求額三二万五九五〇円)

正一は、本件麻酔事故による傷害のため昭和五九年六月一一日以降も入院治療を受け、次のとおり、その治療費を支払った。なお、毎月五万一〇〇〇円を越える部分については味方村から高額医療補助金の支給があったため、正一は治療費の一部を負担したことになる。

(1) 被告病院及び長岡日赤病院

入院期間 昭和五九年六月一一日から同年一二月五日

治療費 二九万七二二六円(円未満切捨て。以下、同様。)

51,000×〔20/30+5+5/31〕=297,225円

(2) 白根健生病院

入院期間 同年一二月六日から昭和六〇年八月二九日

治療費 一万九九五〇円

(二) 入院付添費(請求額三五六万八〇〇〇円)

正一は、前認定の四四五日間の入院期間中、植物人間状態であったため二四時間体制での常時看護を必要とし、原告ヒデはじめ親族が付添看護に従事した。右入院付添費として一日当たり五二〇〇円の割合により算定するのが相当であり、その合計は二三一万四〇〇〇円である。

(三) 入院雑費(請求額四四万六〇〇〇円)

正一は、前認定の四四五日間の入院期間中、植物人間状態であったため紙オムツ等の消耗品を必要とし、入院雑費として一日当たり一〇〇〇円、合計四四万五〇〇〇円を支払ったことが推認される。

(四) 休業損害(請求額二三二万五七六四円)

正一は、本件手術当時、農業に従事するかたわら味方村農協に勤務し、昭和五八年の年間所得は二三二万五七六四円であり、本件麻酔事故に遇わなければ、胃潰瘍手術にともなう通常の入通院及び静養期間八〇日を経過した後、従前の就労状態に復帰することが可能であったと推認されるから、右期間経過後の昭和五九年八月二九日から昭和六〇年八月二九日までの一年間の休業損害は、二三二万五七六四円である。

(五) 逸失利益(請求額二一三五万三三〇四円)

正一は、死亡時に満四八歳(昭和一一年一一月二二日生)の男子であり、老父母を扶養するなどしており一家の支柱であった。したがって、本件麻酔事故に遇わなければ、その後一九年間にわたり、前認定の二三二万五七六四円を下らない年間所得を得ることができ、右全期間について生活費として年収の三割を必要とし、年五分の割合による中間利息の控除はライプニッツ方式(正一の死亡は本件麻酔事故の一年余の後であるから、二〇年のライプニッツ係数12.4622と一年の同係数0.9523との差の11.5099を用いる。)によるのが相当であるから、以上を基礎として正一の死亡に伴う逸失利益を算出すると、次のとおり一八七三万八五一七円となる。

2,325,764×(1−0.3)×11.5099=18,738,517円

(六) 慰謝料(請求額二〇〇〇万円)

正一が一家の支柱であったこと、本件麻酔事故後の一年余りの植物人間状態、本件手術が緊急手術であったこと等本件に現れた一切の事情を斟酌すると、正一の慰謝料は二〇〇〇万円が相当である。

(七) 以上の損害の合計は四四一四万〇四五六円である。

2  相続関係

証拠(〈書証番号略〉、原告ヒデ)によれば、原告ヒデは正一の妻であり、原告敏明及び同修は正一の子であり、原告らは法定相続分に従い、原告ヒデが二分の一(二二〇七万〇二二八円)、原告敏明及び同修が各四分の一(一一〇三万五一一四円)の割合で正一が本件麻酔事故により被った損害を相続したことが認められる。

3  葬儀費用(請求額九〇万円)

弁論の趣旨によれば、原告ヒデは、正一の葬儀を執り行い、九〇万円を下らない費用を要したことが推認できる。

4  弁護士費用(請求額四八九万円)

本件事案の内容を考慮すると、本件麻酔事故と相当因果関係のある弁護士費用は、原告ヒデについて二二九万円、原告敏明及び同修について各一一〇万円と認めるのが相当である。

六以上、本件請求は、原告ヒデについて二五二六万〇二二八円、原告敏明及び同修について各一二一三万五一一四円と右各金員に対する不法行為の日である昭和五九年六月一〇日から各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官太田幸夫 裁判官戸田彰子 裁判官鈴木桂子は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官太田幸夫)

別紙麻酔表〈省略〉

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